お盆の夜に幻想的な灯明
2023(令和5年)8月14日


 
  2021年8月14日(土)に今年度お盆法要を勤めました。例年ですと境内地に千本余りの灯明をともして荘厳し、法要が終わったあとは、上方落語による正福寺寄席を楽しんでいただいておりましたが、新型コロナ感染拡大をうけて、昨年同様『千灯明・正福寺寄席』は中止せざるをえませんでした。
 今回役員会では、多くの人が集まっての作業は難しいが百本ぐらいなら少人数の役員で並べることができると計画していましたが、あいにく当日はは大雨洪水警報が出され、雨が強く降り続きました。 そこでわずかに山門と鐘楼・本堂縁に灯明を置きました。それでも暗闇に浮かび上がる灯明は趣深いものになりました。 法要は初盆を迎える方のみの案内でしたてが、四十数人の参拝があり、お勤めのあと住職がお盆の由来について話しました。
 お盆は正しくは盂蘭盆といい倒懸(さかさま)という意味で、お釈迦さまの弟子、目連尊者の母が死後、極楽でなく餓鬼道に生まれていたという故事から始まっています。「冥福」とは冥土の幸福という意味で、死後暗闇の世界に生まれるという意味を持ちますが、私たちの生きている娑婆世界こそが迷いの暗闇の世界であり、この身おわると阿弥陀さまの働きで悟りの世界、光の世界に生まれて行きます。まさにさかさまのことなのです。
 2022年8月14日(日)にお盆法要を勤めました。コロナ感染第七波のため、昨年同様『千灯明・正福寺寄席』は中止とし、山門と石段・鐘楼・参道敷石の左右に百本の灯明を置きました。法要は初盆を迎える方のみへのご案内でしたが、役員を含めて50人の参拝がありました。
 お盆は盂蘭盆といい倒懸(さかさま)という意味です。 私たちは自分色の色メガネをつけて物事を判断しますから、〇〇するのが当たり前と思っていることも、他の人からみるとさかさまのこともあります。歎異抄に、唯円が師の親鸞聖人に「師の仰せならどんなことでもいたします。」と言うと、親鸞聖人は「では人を千人殺してきなさい」と言われました。唯円は「私はとても人など殺せません」と、答えると「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」と親鸞聖人はおっしゃいました。
 私たちは人など決して殺さないと思っていますが、縁がもようせば、どのようなことをするかもわらないというのか私たちの有様です。 自分では善人だと思っていますが、仏教的にみると、さかさまの悪人ということです。その悪人を救いの目当てとしてくださるのが阿弥陀さまです。                  2023年8月14日(月)今年度お盆法要を勤めました。コロナ禍の3年間は初盆の方のみを対象として、千灯明は行わず、少人数で勤めてきましたが、今年度は例年の規模の半数で千灯明をおこないました。5時から作業を開始し、7時前に点灯。皆さんが返られる頃になると、例年に変わらない幻想的な雰囲気が境内地に広がります。
 役員さんを含めて百人近い参拝があり、本堂は満堂。駐車場も東西南北4箇所の駐車場も満杯になりました。今年度は本堂にエアコンが設置されましたので、本堂のサッシを取り外すことも要らず、とても快適に法要を勤めることができました。
 法要中には初盆のご遺族の皆さんに献花・焼香をしていただきました。 あと住職よりお盆のいわれについての話があり、そのあとは新市町スナック・ジルバ他の皆さんによる演芸がおこなわれました。なかでも閻魔大王に扮しての、遺族の方とのやり取りはなかなかおもしろいものでした。  
 2022(令和4年)8月14日
 
 
        
     
 お盆会
○盆会は孟蘭盆会を略したもので、釈尊の弟子目連尊者の母が、仏法によって 餓鬼の世界から救われたという故事からおこっ たといわれており、 歓喜会ともいいます。また盆おどりも、目連尊者が、その母の救われたことを躍りあがってよろこんだ姿に由来するともいわれています。 
○盆会には、亡くなった人を追慕し、報恩のおもいのなかに、家族ぐるみでまことのみ教えを聞きましよう。それが、親も子も祖先もともに迷いから救 われて、まことのよろこびを得る道です。報恩の意味でお盆の行事をつとめさせていただきます。
○わたくしたちの盆は、礼拝と聴聞を大切にします。家庭の仏壇だけでなく、必ずお寺に参詣しましょう。(浄土真宗 必携より)